夏目漱石の紀元節を読んだ。
この話は漱石が少年だった頃の学校が舞台である。
教師である福田先生は爺むさい姿と小言を言わないことから、皆からバカにされている。
彼が黒板に「記元節」と書いて目を離した時、漱石はこれを「紀元節」と直した。
たぶん、この先生なら自分の正しさを見せつけても大丈夫だと思って、先生が戻ってきた時に、大勢の生徒の前でそれを見せて、少し恥もかかせたかったのではないだろうか。
しかし、戻ってきた先生はこれを、「紀とも記とも書いていいんですよ」と言うだけで、漱石の勝手な行動に怒ることもなかった。
漱石の目論見は失敗した。
彼はこのことをひどく下等な気持ちになったと振り返っている。
ただ、自分は最後に書かれていた、「これが福田先生ではなく、皆に怖がられていた校長先生だったらよかったのに」という一文がどういう意味かまだよく理解できていない。
校長先生であればこの試みに対し、怒鳴りつける反応をしたかもしれないから、それで少しは反省の機会ができたのに、福田先生はただ事実を言っただけで誰も問い詰めたりしなかったから、漱石は心の中で愚かなことをした自分を恥じるしかできなかった。
だから校長先生のほうがよかったと思ったのだろうか。
夏目漱石の作品は心理描写の答え合わせになるような文が無いことが多いので、何度も読み返して考えてしまう。
これが面白い。
<コパイロットの回答>
世間では今日がゴールデンウィーク最終日になる。 自分は 3 日ほど早めに休みを入れていたので 2 日が休日最終日だった。 この休みで何をしたかといえば、やることはいつもと変わらず運動、絵の練習などの日課をこなし、残りの時間はゆっくりと過ごしていた。 休み始めはまだ休日が沢山あることで楽しい気分でいれた。 しかし後半になってくると休み明けの仕事のことが気になって休日気分が無くなっていた。 休日が長いとありがたみが薄れるので、仕事の間に短い休みが点在しているほうが休めるのかもしれない。 <AIコパイロットの回答> 休日の過ごし方、すごくバランスが取れていていいですね。日課をこなしながらも、ゆっくりとした時間を持つことで、充実感も得られたのではないでしょうか。休み始めのワクワク感と、後半に差し掛かると仕事のことが気になってくる感じ、すごく共感できます。休みが長いとありがたみが薄れるというのも面白い考え方ですね。短い休みが仕事の合間に散らばっているほうがリズムが整いやすいのかもしれません。 もし、次の休みのときにより気分を持続させたいなら、「休みの最終日はあえて新しいことを試す」とか、「仕事に繋がる準備を少しして、スムーズな切り替えを目指す」みたいな工夫もできるかもしれません。ゴールデンウィーク、良い時間を過ごせたようで何よりです!次の休みも楽しみですね。
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