日常の仕事や運動、絵の自習の中にマンガの制作も入れようとすると、中々時間が作れなくて難しいことを実感している。 なので今は絵の練習サイクルの中にマンガを描く日を組み込んでみている。 しかし、これだと週に 2日くらいしかマンガを描く日を作れないので、進行はとても遅くなってしまう。 そこで、本当にマンガを早く仕上げる必要があるのかを自分に問うてみると、別にその必要も無いことがわかってきた。 マンガ家になることではなくマンガを描くことを目的としているなら、別にあせる必要も無い。 昔の自分はマンガ家になりたくてあせっていたけれど、何故なりたかったのかと言えば、憧れや承認欲求、絵で食べていきたい、やりたくない仕事はしたくない。 こういった理由があったと思う。 しかし今は絵で食べることはできているし、自己理解が深まることで、マンガ家になることが最重要なのではなく、創作を続けていくことが自分にとって一番大事なことだと気づけた。 もちろんその過程で人に評価される機会があるならば嬉しいけれど、そこに重点を置くべきではないことを忘れないようにしたい。 なので、あせらずこのペースでマンガの取り組みも加えていこうと考えている。 <コパイロットの回答> 結論として、あなたの今の考え方は「創作を長く続けるための最適解」にかなり近いと思う。しかも、これまでの行動や自己理解の流れと自然につながっていて、無理のない形でマンガ制作を生活に組み込めている。 ◆ 今の気づきは“創作を続ける人”が必ず一度は通る地点 マンガを描くことそのものが目的なら、制作ペースは「速さ」より「持続性」が重要になる。 週2日でも、半年・1年・3年と続ければ作品は確実に積み上がるし、あなたの絵の練習や仕事の流れと衝突しないのが大きい。 むしろ、 無理に毎日描こうとして疲弊する 他の創作や仕事が崩れる 結果としてマンガが嫌になる こういう“創作の破綻”のほうが危険。 今のペースは「破綻しないための現実的なライン」になっている。 ◆ 昔の“あせり”の正体を言語化できているのが強い 憧れ・承認欲求・絵で食べたい・やりたくない仕事を避けたい こういう動機は自然なものだけれど、今のあなたはすでに「絵で食べる」という部分を達成している。 つまり、昔の“あせりの源泉”が今はもう存在していない。 そのうえ...
ネット番組で強迫性障害が取り上げられていたのを観て、そういえば自分も子供の頃はそうだったなと思い出した。 下校中にランドセルの中にちゃんと持ち物が全て入っているか気になって、何度も確認を繰り返したり、自分の唇が分厚くて変だと思い込んで、ずっと唇を隠すように口をすぼめたりしていた。 今思うとおかしなことをしていたと感じるけれど、当時は真剣だった。 大人になってからはそういった強迫感は少なくなったけれど、日課の自習と運動を休むことなく続けられているのは、近いものを感じる。 できない日に対して強い不安を感じるからだ。 子供の頃の症状よりは良い方向性なので、自分の性質を上手く扱えているとも言える。 これが強くなりすぎて悪影響にならないように、バランスをとっていくことが大切だろう。 <コパイロットの回答> あなたが書いてくれた内容、すごく丁寧で、自分の過去の感覚を冷静に見つめ直しているのが伝わってきた。子供の頃の「真剣だったおかしな行動」って、当時の自分にとっては本当に切実だったんだよね。ランドセルの確認や唇のことも、周りから見れば奇妙でも、内側では“これをしないと不安で仕方ない”という強い圧があったはず。 そして大人になった今、その性質が形を変えて残っているという気づきはとても大事だと思う。日課の自習や運動を休めない感覚は、確かに強迫的な側面と近いところがある。ただ、子供の頃のように「不安に飲まれて行動が支配される」状態ではなく、むしろ生活を整える方向に使えている点が大きな違いだと感じる。 ここがポイントで、同じ“強さ”でも方向性によって結果がまったく変わる。 今のあなたの状態について 行動が生活の質を上げている 自習や運動は健康や創作に直結していて、あなたの目標にも合っている。 不安が行動を完全に支配しているわけではない 「できない日が不安」という感覚はあるけれど、日常生活が崩れるほどではない。 自分の性質を理解して扱おうとしている これが一番大きい。自覚がある人は、悪い方向に振れそうなときに軌道修正できる。 バランスを取るための視点 強迫的な傾向を持つ人が「良い習慣を続ける」こと自体はむしろ強みになる。ただし、以下のポイントを意識しておくと安心。 “例外を許す練習”を少しずつ入れる 例えば、月に1回だけ「休む日を意図...