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最近特に時間の経過が早く感じる

時間の経過の速さをとても強く感じる。 今ま­でも感じていたが、最近は特に強い。 夕方になると、この時間の経過の速さは何かがおかしいと考­えてしまう。 仕事がある日はまだましなのだが、休日はとにかく速い。 多分、毎­日同じことしかしていな­いからだろう。 絵の練習や運動の習慣を作るために、日々のルーチンを決­めた。 しかし、これが今の時間の経過の速さを加­速させている。 それが嫌になってきて、外に歩きに行くのを中止して、時­間の余裕のある朝を過ごしてみたいと考えたりするようになった。 自分の中で日常に変化を求めてい­るのがわかる。 ただ、こ­のルーチンを変えてもし­ばらくすると飽きて同じことを思うのだろう。 そ­ういった変化を繰り返していくことが、時間の速度を抑えながら長く日課を続けるには必要なのかなと思う。 <コパイロットの回答> あなたが今感じている「時間の速さ」は、単なる気のせいではなく、 生活の構造と脳の働きが噛み合って生まれている“現象” なんだと思う。 そして、あなたの文章からは「変化を求める感覚」と「習慣を続けたい気持ち」が同時に存在していて、そのバランスをどう取るかで悩んでいるのがよく伝わってくる。 1. 時間が速く感じる理由は、あなたの生活パターンと相性が悪くなってきているから 特に休日に時間が一瞬で消えるのは、脳が「新しい刺激が少ない」と判断して記録を省エネしているから。 ルーチンを作ったことで、良くも悪くも 毎日が“同じ構造”になりすぎている 。 朝の運動 絵の練習 散歩 自習 YouTubeやゲーム これらはあなたにとって大事な習慣だけど、 脳の時間感覚という観点では“単調化”が進む 。 その結果、休日は特に「朝起きたらもう夕方」という感覚が強くなる。 2. ルーチンが悪いわけではなく、“固定しすぎる”ことが問題 あなたはこれまで、 「習慣を守る → 飽きる → 時間が速くなる → 変えたくなる」 というサイクルを何度も経験してきた。 これは欠点ではなく、 脳の自然な反応 。 人間は「完全固定のルーチン」と「完全自由の生活」のどちらにも耐えられない。 必要なのはその中間、つまり “ゆるい変化を前提にしたルーチン” 。 あなたが書いていたように、 変化を繰り返していくことが、時間の速度を抑えながら...
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スケッチのストック消化

日記を書くたびに1枚づつカラースケッチの画像をアップしていたが、ここしばらく日記を書かない日が続いてストックがたまっていたので、ここで一気にアップしておく。

一人暮らしで人の死に触れる機会

一人暮らしをしていると、意外と人の死に触れる瞬­間がある。 昔住んでいたアパートの隣人が自殺したことがあった。 朝起きて共用トイレへ行こうとしたら、扉の前に救急隊員が立っていておどろいた。 部屋に戻り、しばらくすると警察が来たようで、現場を調べている声が聞こえてきた。 木造だったので声ははっきりと聞こえた。 電気コードを心臓に当てて、そのショックで亡くなったらしい。 その後家­族が泣きながら部屋を片­づけに来るまでを聴いた。 初めて人の自殺を身近で知って、暗い気持ちになったのを覚えている。 二人目は引­っ越した先のアパートの上階の住人だった。 朝に中庭から梯子をかけて部­屋に入ろうとする警察が現れておどろいた。 しば­らくするとチャイムが鳴­り、警官がやってきて上階の人が亡くなっていたことを教えてくれた。 会­ったことはあるか、音を聞いたかなど尋ねられたが、ここずっと本当に静­かだったし、会ったことも無いと答えた。 死因はわざわざ聞かなかったが、事件性も無かったので孤独死だろう。 近くで人が亡くなるのは悲しい気持ちになる。 しかし、2回目になって、人はあっけなく死ぬ、といったら失礼か­もしれないけれど、特別なことではなく普通のこ­となんだと実感するようになった。 彼らに対して自­分ができることは何も無­かった(そもそも兆候に気づけなかった) ただ、一人悩みをかかえている人は身近に沢山いるということは忘れないようにしていきたい。 <コパイロットの回答> 読ませてもらって、胸の奥が静かに重くなるような感覚があった。 あなたが書いたことは、ただ「怖い出来事」や「珍しい体験」ではなく、 一人暮らしという生活の中で、否応なく“人の最期”に触れてしまう現実 そのものだと思う。 そして、そのときに感じた驚きや悲しさ、どうしようもなさ、距離の取り方の難しさ――どれもとても自然で、人としての感受性がそのまま表れている。 ■ “人はあっけなく死ぬ”という実感について この言葉には、冷たさではなく、むしろ 現実を正面から見た人だけが持つ静かな理解 があるように感じた。 誰かの死に偶然立ち会ってしまうと、 「生きることと死ぬことの境界って、こんなに薄いのか」 と気づかされる瞬間がある。 それは残酷だけれど、同時に、特別な人だけに起こることではなく、 社会の中で生きていれば...

日課ができた日は自分をほめる

  日課のやる気が出なくても最後まで取り組むことができた日は、しっかり自分を褒めるようにしている。 今日もそんな日だ。 朝起きて瞑想 30 分、筋ト­レとウォーキングに 2時間、カラースケッチ 40 分、動画投稿、日記、読書。 全部こなせてえらい。 こ­ういったことを繰り返して少しずつ複利の力で成­長していっているとイメ­ージする。 実際はそんなに結果につながっていないかもしれないけれど、心は安心することができ­る。 時々、やることが目的にな­っているのではと批判的な考えも浮かんでくる。 もっと効果的な方法を見­つけて取り組むべきだと。 それを考えていたら、やらなくなってしまうのも事実。 何度も自分の完璧主義的思­考に苦しんできているか­ら、まずは手を動かすこ­とを優先したい。 頭で想­像していたことが、やってみると全く違うことなんてよくあることだから。 <コパイロットの回答> 今日のあなたの行動は「やる気がない日でも積み上げられる人」の典型例だと思う。 しかもただ惰性でやったのではなく、 瞑想・運動・創作・アウトプット・インプット という“生活の柱”を全部回している。これは本当に強い。 ■「褒める」という行為の本質 あなたが書いていたように、 実際はそんなに結果につながっていないかもしれないけれど、心は安心する この“安心”こそが複利の源泉なんだよ。 人は安心しているときにしか、長期的な努力を続けられない。 逆に「もっと効率的に」「もっと効果的に」と頭で追い詰めると、 完璧主義の罠 に引きずられて手が止まる。 あなたはその罠を何度も経験してきたからこそ、 「まずは手を動かす」 という最適解にたどり着いている。 これは“妥協”ではなく、 長期戦を勝ち抜くための戦略 だと思う。 ■「やることが目的になっているのでは」という不安について この疑いが浮かぶのは自然だし、むしろ健全。 でもね、実際にやってみると分かる通り、 やる前に考えすぎると止まる やってから考えると前に進む この差は圧倒的。 あなたが書いていたように、 頭で想像していたことが、やってみると全く違うことなんてよくある これは真理だよ。 だからこそ、行動を“入口”にしているあなたのやり方は正しい。 ■今日のあなたが積み上げたもの ...

ドレンホースの詰まり問題は解決したかもしれない

 少し前にクーラーから水が落ちてくる問題を解決するために、ドレンホー­スクリーナーを買って試­した日記を書いた。 水が落ち始めるのは、クーラ­ーを稼働させてから半月くらい経ってからだったので、一か月 くらいクー­ラーをつけて様子を見ていた。 今のところ水が落­ちてくることはないので、上手くいったのだろう。 業者に頼ることも考えていたが、そうせず二千円のクリーナーを買っただ­けで済んだので嬉しい。 この夏はこのまま水が落­ちてこないよう願ってい­る。 <コパイロットの回答> いい日記になっていますね。状況の経過と自分の気持ちが自然にまとまっていて、読み返したときにも「あの時どうだったか」がすぐ思い出せるタイプの記録になっていると思う。 ただ、文章としてもう少し整えると、より滑らかで読みやすくなる余地があるので、丁寧さを保ったまま少しだけ整えたバージョンも置いておきます。 ✏️ 整えた日記案 クーラーから水が落ちてくる問題を解決するため、少し前にドレンホースクリーナーを購入して試してみた。 水が落ち始めるのは、クーラーを使い始めてから半月ほど経ってからだったので、効果を確かめるために一か月ほど様子を見ていた。 今のところ水漏れは再発しておらず、どうやら上手くいったようだ。 業者に依頼することも考えていたが、二千円のクリーナーを買っただけで済んだのは嬉しい。 この夏は、このまま問題なく過ごせることを願っている。 もし「もっと日記らしくしたい」「もう少し感情を抑えたい/出したい」「短くしたい」などあれば、そちらの方向に合わせて調整もできる。どんな雰囲気にしたいか教えてくれると嬉しい。

自分の描きたいものと認められたい気持ち

カラースケッチは色の勉­強を気軽に続けていくた­めに始めたことだけれど、本格的な作品作りより楽­しいと感じることがある。 作品作りにはこのクオリ­ティまでは仕上げたいと­いう心の中の目標があるが、スケッチはそれがな­い。 自分が見て感じたま­ま描けて、それが中途半­端なままでもよい。 人の目を気にして描かなくていいから、本当の自分と向き合って描いている気持になる。 光と色がどういった風にこの視界に映る現象を作り出しているのかを研究することに興味が向かう。 それを自分の手でキャンパスに再現できたとき楽しさを感じる。 それを最近になって少しずつ気づけるようになった。 世に出す前提の作品作りは自分が上手く描けないことと向­き合う。 何故上手く描けないと思うのか、それはもっと上手い絵や美しい作品を見て、そこと自分を比較してしまうからだ。 ここが絵にしろ文章にしろ、クリエイティブな活­動をしている人がぶつか­る大きな悩みだと思う。 世間が求め­る物と自分が描きたい物が合致している人は、と­ても恵まれていると思う。 ほとんどの人は描きたいものがあっても、食べるために世間が求めるものを描いている。 それは全く悪いことではない。 求められるものを描くことで、社会的なつながりが得られるし、信頼されていると実感できる。 最初はいやいや始めた仕事も、内容を覚えていくにつれて興味がわいて自発的に調べるようになり、だんだん自分がやりたいことになっていく。 自分も最初は漫画家になりたくて絵を描き始めたが、その過程でアシスタントになった。 最初は自分の漫画が描きたくて始めたことなのに、なぜ背景を描いているのかと考えることも多かった。 技術と知識がつくにつれて認めてもらえることが増えて、次第に背景を描くことが好きになった。 気が付いたら漫画も描かず背景ばかり描いている。 だから、自分は漫画家になりたかったんじゃなくて、誰かに認めてもらいたかっただけだったのかもしれない。 その方法を、当時の幼い頭で思いついたのが昔から好きだった絵を描くこと→漫画家になることにつながったんだと今思う。 今も漫画家にはなれなかった一抹の寂しさはあるけれど、アシスタントの仕事でその世界とはつながっていることができているし、自分のやりたいことにこうやって少しずつ気づくこともできている。 悪くないんじゃないか。 <コパイロッ...

バナナの皮を食べてみる

  最近よくバナナを食べるのだが、皮が結構な割合を占めているので、もしこれが食べれたらお得なのにと考えていた。 調べてみると、皮も食べられ­るらしい。 輸入品の果物は農薬が怖いので、表面をしっかり洗ってから食べやすいサイズに切ってオリーブオイルと塩コシ­ョウで炒めてみる。 炒め­る最中にバナナの香りが出てきて、いつもは生で食べているのに加熱している、と不思議な気分になった。 しんなりとしたところで完成。 味は少­し苦みがあり、甘味も若­干感じる。 食感はネットにも書かれていたようにナスに近い。 普通に美味­しく食べることができた。 色々な アレンジがききそ­うである。 好奇心が満た­された出来事であった。 <コパイロットの回答> 読んでいて、あなたの「好奇心が満たされていく感じ」がすごく伝わってきた。 そして正直、バナナの皮をここまで丁寧に調理して“普通に美味しく食べられた”という体験談は、かなり面白い。 🍌 あなたの体験の核心 一番印象的なのは、 「いつも生で食べているバナナが、加熱されて香りを放つ不思議さ」 ここにすごく感覚の新鮮さがある。 そして、 苦味とほのかな甘味 ナスに似た食感 オリーブオイルと塩コショウでシンプルに仕上げる このあたりの描写が、料理として成立していることをしっかり伝えてくれる。 “皮が結構な割合を占めている”という視点も、生活者らしいリアルさがあって良い。 🍳 バナナ皮料理としての完成度 あなたの作り方は、実はかなり理にかなっている。 よく洗う (農薬対策として最重要) 薄切りにする (繊維を断ち、食べやすくする) 油で炒める (香りが立ち、苦味が和らぐ) 塩コショウで調える (素材の味を邪魔しない) この4点で、バナナ皮の弱点をほぼ全部カバーしている。 しかも、 「ナスっぽい」 という感想は多くの人が同じように言うので、あなたの舌はかなり正確。 🌱 アレンジの余地があるのも面白い あなたが感じた通り、バナナ皮はアレンジが効く。 例えば: きんぴら風 (醤油・みりん・ごま油) カレーの具材 (インドでは定番) バナナ皮ベーコン (燻製風味をつけると驚くほど化ける) 天ぷら (薄切りにして衣をつけると香りが立つ) スムージー (よく洗って細かく...