今日のベンチプレスで92.5KG を 5 回あげることができた。 RM 表だと 104KG を 1回 あげれることになる。 今日は調子が良かったからできたのであって、次はまた回数が落ちることもあるだろう。 そろそろ 100KG に挑戦してもいいかなと思えてくる。 またはこのまま少しずつ重さを上げていくのも堅実か。
毎日自習をする時は今日も意味のある勉強をして、形になるものを残さなければという思いに駆られる。 イラストであれば一枚の作品、マンガであればネームを進める等。 今日もこの後マンガの制作をする予定であるが、自分の中で面白くない箇所をどうしたら面白くできるのか答えが出ておらず、取り組むのが気が重い。 気が重いのは、この一回で必ず何か結果や解決策を出さないといけない思い込みから来ているのだと思う。 やること全てインスタントに意味や結果を求めていると、それができない時の自分を責めてしまい、やることが嫌になってしまう。 だから、結果は本来行動によって偶然生まれるオマケ的な要素であり、それを求めて行動するべきではないと考えたい。 「自習自体に意味はない」こう言ってしまうとネガティブに聞こえるけれど、瞑想をするようにただ今やっていることに集中する。 これが毎日できているだけで十分ではないだろうか。 結果はオマケという考えを大切にしていきたい。 <Geminiの回答> その通りだと思います。ご自身の思考のクセ(原因)と、それを解きほぐすための健全な捉え方を、とても客観的かつ深く整理できていらっしゃいます。 「一枚の完成品」や「ネームの進行」といった目に見える成果(=形の残るもの)だけを勉強や活動の価値にしてしまうと、制作における「試行錯誤」「悩む時間」「アイデアの熟成」といった、最も重要で時間のかかるプロセスがすべて「無駄な時間」「進んでいない状態」に見えてしまいます。 特にマンガの「面白くない箇所をどう直すか」という課題は、脳内でアイデアをこねくり回したり、失敗する案をいくつも出したりする暗雲の中を歩くような作業です。これを「1回のセッションで必ず解決・結果を出さなければならない」と考えると、重圧で足がすくむのは当然のことです。 ご自身がたどり着いた「結果は行動によって偶然生まれるオマケ」「瞑想のように、いまやっている作業そのものに集中する」という考え方は、創作を長期的に続けていく上で非常に本質的で強固なメンタルモデルです。 「悩んで進まなかった1時間」も立派な自習 「答えが出なかった」という結果も含めて、脳に負荷をかけてアイデアを探ったという プロセスの実行 そのものに100点満点を出してあげてください。 「形になるもの」の定義を広げる 完成稿や進んだネーム...