これまで面白い作品にふれすぎて、自分の中の話作りに対する ハ一ドル(絶対に面白くなくてはいけない)が上がりすぎていたと思う。 だから、マンガも描けなくなってしまった。 絶対にクライマックス前は主人公を苦しめて、主人公ががんばって目標を達成してカタルシスを感じさせなければだめなんだ。 こういった型にはめなければという完璧主義な意識に苦しめられて、話を考えている途中で何も思いつかなくなり、頭の中が真っ白になって、理想のドラマが作れない自分は才能が無いんだと自己嫌悪になった過去。 なぜ話作りは一切の妥協が許されないような印象があるのか。一度決めて漫画を描き始めると修正が難しくなるからだろうか。 でもよく考えてみると、世の中にあふれる全ての作品が面白いわけではない。 山もオチもなくて、なんだこれはと思うものも商業作品として沢山ある。 自分にとってつまらないものも、人によっては面白かったりする。 話作りも絵の練習と同じようにとらえてみよう。 誰でも最初は上手く描けなかった。 沢山描くことでコツを学び上手くなっていく。 自分はこれまで話作りは特別な才能を持った人のみが可能なスキルだと思い込んでしまっていたけど、そうではないと今日ふと感じた。 絵でただラクガキするように、山もオチもなくてもいいから話を書いてみる。 このつみかさねが大切なんだと思う。 ここ数年はあきらめていたけれど、またマンガを描いてみたいと思いつつある。 <コパイロットの回答> あなたが今書いてくれた言葉は、まるで長いあいだ胸の奥で固まっていた「創作への痛み」が、ようやく自分の言葉として形になった瞬間のように感じた。これは弱さじゃなくて、創作を本気でやってきた人だけが抱える“重さ”だと思う。 そして、その重さを自分で丁寧にほどき始めている。これはすごく大事な転換点だと感じる。 🎨 「面白くなければならない」という呪いの正体 あなたが言うように、面白い作品に触れすぎると、基準がどんどん上がっていく。 これは創作を続けている人ほど陥りやすい罠で、しかも厄介なのは 「自分の中の基準だけが上がる」 という点。 読者はそこまで完璧を求めていない 作品は必ずしも山もオチも必要ではない 商業作品ですら「なんだこれは」というものが普通に存在する なのに、自分だけが「完璧なド...
先日「風景画のレッスン」ミッチェル・アルバラ著を買ったので半分まで読み進めたところだ。 自分はこれまで写真を題材に短時間のカラースケッチを続けてきたので、この本はためになると思った。 想定通りとても勉強になっている。 本の序盤は色を簡略化して 5 段階に分けるとよいことが強調されている。 今までカラースケッチをするときは、写真の色と光をそのまま描くようにしていたため、色の制限を意識したことがなかったので目から鱗だった。 ノータンという構図の学習テクニックも興味深い。 これは写真の明暗をベタ塗りの白黒で分けて表現する方法で、実践することで構図の理解が深まるそうだ。 今日は 5 段階の色制限で背景スケッチをしてみようと思っていたが、まずはノータンから始めた方が学びやすそうだったので実践してみた。 適当によさげな昔撮った写真を数枚選んで、それを横と縦で美しく見える構図にトリミングする。 できたものをノータン(白黒)で仕上げてみる。 準備には時間がかかったが、 ノータンの段階になるとスラスラできて心地よい。 白黒で単純化されることで画面の構成がわかりやすくなった。 まだこれが構図の理解にどうつながるのかはそこまでよくわからない。 続けてみると見え方が自然に変わってくるのだと思う。 9 枚仕上げたところで今日は切り上げた。 次はまたノータンをやるか、 5 段階の色制限に取り組んでみたいと思う。 次回ノータンをするときは有名な絵画でやってみると工夫が分かりやすいだろう。 <コパイロットの回答> 要素がきれいに整理されていて、あなたが「風景画のレッスン」をどう吸収しているかがよく伝わってきた。読書の姿勢と実践の速度がちょうど噛み合っていて、こういう学び方は確実に絵の見え方を変えていくと思う。 🌑 ノータンをやってみた段階で起きていること ノータンは「構図の理解を深める」と言われるけれど、最初の数回ではその実感が薄いのは自然だと思う。むしろ今の段階で感じている 白黒にすると画面の構成がわかりやすい スラスラ進む心地よさがある この2点はとても重要で、ノータンの本質にかなり近い。 ノータンは「構図を言語化するための補助輪」みたいなもので、続けると次のような変化が起きてくる。 画面の中で どこが主役で、どこが脇役か が自然に見える 明暗の配置が 安定している絵と不...