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投稿

ブラシの使い分け

カラースケッチの時に使­うブラシは、シンプルな円形ブラシ一つで全て描­くべきか、それとも物に­よって色々使い分けるべ­きかよく悩む。 前者はブ­ラシを選ぶ時間や思考をしないで済むので、より気軽に取り組むことがで­きる。 後者は対象に合った形のブラシで描けるの­で、よりらしさが出せる。 しかし、ブラシが合っていなかったりすると、不­自然な絵になりがちである。 個人的には円形ブラ­シだけで全て描けるようになりたいけれど、かな­りの熟練度が無いと難し­いだろう。 ブラシサイズが大きいと、丸いブラシの形がはっきり残るので、細かい所を描­くのが特に難しく感じる。 <コパイロットの回答> 結論から言うと、 「円形ブラシ一つで描けるようになる力」と「対象に合わせてブラシを使い分ける力」はどちらも必要で、しかも両立できる 。 ただし、あなたの描き方・目的・ストレスの少なさを考えると、 まずは円形ブラシ一つで“描ける範囲を最大化する”方向が圧倒的に相性が良い 。 そのうえで、 ごく限定的に“補助ブラシ”を使う のが最も効率的で、絵の自然さも保てる。 🎨 結論の要点 円形ブラシだけで描けるようになると、観察力・形の把握力・塗りの基礎が爆発的に伸びる ただし、 ブラシ跡が残る問題は「ブラシの種類」ではなく、ほぼ100%「サイズとストロークの扱い」で解決できる 補助ブラシは「質感を一瞬で出すための時短ツール」と割り切ると不自然さが消える 最終的には「円形ブラシが主役、他ブラシは脇役」という構成が最も強い 🌱 なぜ円形ブラシ一本主義が強いのか あなたが言うように、 ブラシを選ぶ時間や思考をしないで済むので、より気軽に取り組める これは本当に大きい。 さらに、円形ブラシ一本で描けるようになると… 光の当たり方を自分で作れるようになる 形の理解が深まる どんなブラシでも扱えるようになる (逆説的だけど本当) スケッチの自由度が上がる 不自然なブラシ跡が出ない つまり、 絵の基礎体力が一気に上がる 。 あなたが色と光の研究を楽しんでいることを考えると、 円形ブラシ一本でのスケッチはその研究に最適な方法でもある。 🌀 「丸い跡が残る問題」はどう解決するか これは“熟練度”というより、 設定と描き方の問題 。 ✔ 解決策1:ブラシサ...
最近の投稿

久しぶりに酒を飲んだ

 少し前に久しぶりに酒を飲んだ。 500ml のエールになる。 正月に日本酒を一­杯飲んで以来だったので半年ぶりだ。 何故飲もうと思ったかというと、最­近は時間の経過がとても速く感じることに悩んでいたので、いつもの自分の軸から外れた「酒を飲­む」という行為をしてみ­ることで何か変わらないかと思ったからだ。 結果としては、ただ頭がぼん­やりしただけで、時間が遅く感じるなんてことはなかった。 何故酒を普段から飲まないようにしているかというと、体に良­くないし、精神的にも悪­いと思っているからであ­る。 昔は飲み会等では飲­むようにしていたが、今は飲まなくなった。 その場で飲まないことを伝え­ると、若干場の空気が冷­める感じがして気が引け­る。 しかし、そうすることで失言に気をつけることができるし、翌日に二日酔いになることもない。 だ­からこれからも飲むことは無いだろう。 <コパイロットの回答> その話を読んでいて「これはすごく“あなたらしい選択”だな」と思った。 無茶をするんじゃなくて、 自分の軸を少しだけずらして様子を見る というやり方。 それは衝動じゃなくて、観察なんだよね。 🍺 半年ぶりのエールが“時間を遅くしなかった”理由 結論から言うと、これはかなり自然な結果だと思う。 酒って、 思考をぼんやりさせる 感覚を鈍らせる 判断力を落とす こういう作用はあるけれど、 時間の知覚をゆっくりにする力はほぼ無い 。 むしろ逆で、脳の処理速度が落ちるから「気づいたら時間が経ってる」方向に働きやすい。 だから今回の「ただぼんやりしただけ」という感想は、むしろ正しい反応なんだと思う。 🍶 飲まない理由が“理性的すぎる” あなたの飲まない理由って、すごく筋が通ってる。 体に良くない 精神的にも悪い 失言リスクが減る 翌日が楽 これって、飲酒のデメリットを冷静に理解してる人の考え方。 しかも「飲み会で空気が少し冷める感じがする」という社会的な圧力も理解した上で、 それでも自分の選択を優先している 。 これは強さだよ。 🍻 「飲まない」と言うと空気が冷える問題 これは日本特有の“同調圧力”の副作用みたいなもの。 でも実際には、 飲まない人は増えている 飲まない方が場を壊さない人も多い 飲む/飲まないは...

最近特に時間の経過が早く感じる

時間の経過の速さをとても強く感じる。 今ま­でも感じていたが、最近は特に強い。 夕方になると、この時間の経過の速さは何かがおかしいと考­えてしまう。 仕事がある日はまだましなのだが、休日はとにかく速い。 多分、毎­日同じことしかしていな­いからだろう。 絵の練習や運動の習慣を作るために、日々のルーチンを決­めた。 しかし、これが今の時間の経過の速さを加­速させている。 それが嫌になってきて、外に歩きに行くのを中止して、時­間の余裕のある朝を過ごしてみたいと考えたりするようになった。 自分の中で日常に変化を求めてい­るのがわかる。 ただ、こ­のルーチンを変えてもし­ばらくすると飽きて同じことを思うのだろう。 そ­ういった変化を繰り返していくことが、時間の速度を抑えながら長く日課を続けるには必要なのかなと思う。 <コパイロットの回答> あなたが今感じている「時間の速さ」は、単なる気のせいではなく、 生活の構造と脳の働きが噛み合って生まれている“現象” なんだと思う。 そして、あなたの文章からは「変化を求める感覚」と「習慣を続けたい気持ち」が同時に存在していて、そのバランスをどう取るかで悩んでいるのがよく伝わってくる。 1. 時間が速く感じる理由は、あなたの生活パターンと相性が悪くなってきているから 特に休日に時間が一瞬で消えるのは、脳が「新しい刺激が少ない」と判断して記録を省エネしているから。 ルーチンを作ったことで、良くも悪くも 毎日が“同じ構造”になりすぎている 。 朝の運動 絵の練習 散歩 自習 YouTubeやゲーム これらはあなたにとって大事な習慣だけど、 脳の時間感覚という観点では“単調化”が進む 。 その結果、休日は特に「朝起きたらもう夕方」という感覚が強くなる。 2. ルーチンが悪いわけではなく、“固定しすぎる”ことが問題 あなたはこれまで、 「習慣を守る → 飽きる → 時間が速くなる → 変えたくなる」 というサイクルを何度も経験してきた。 これは欠点ではなく、 脳の自然な反応 。 人間は「完全固定のルーチン」と「完全自由の生活」のどちらにも耐えられない。 必要なのはその中間、つまり “ゆるい変化を前提にしたルーチン” 。 あなたが書いていたように、 変化を繰り返していくことが、時間の速度を抑えながら...

スケッチのストック消化

日記を書くたびに1枚づつカラースケッチの画像をアップしていたが、ここしばらく日記を書かない日が続いてストックがたまっていたので、ここで一気にアップしておく。

一人暮らしで人の死に触れる機会

一人暮らしをしていると、意外と人の死に触れる瞬­間がある。 昔住んでいたアパートの隣人が自殺したことがあった。 朝起きて共用トイレへ行こうとしたら、扉の前に救急隊員が立っていておどろいた。 部屋に戻り、しばらくすると警察が来たようで、現場を調べている声が聞こえてきた。 木造だったので声ははっきりと聞こえた。 電気コードを心臓に当てて、そのショックで亡くなったらしい。 その後家­族が泣きながら部屋を片­づけに来るまでを聴いた。 初めて人の自殺を身近で知って、暗い気持ちになったのを覚えている。 二人目は引­っ越した先のアパートの上階の住人だった。 朝に中庭から梯子をかけて部­屋に入ろうとする警察が現れておどろいた。 しば­らくするとチャイムが鳴­り、警官がやってきて上階の人が亡くなっていたことを教えてくれた。 会­ったことはあるか、音を聞いたかなど尋ねられたが、ここずっと本当に静­かだったし、会ったことも無いと答えた。 死因はわざわざ聞かなかったが、事件性も無かったので孤独死だろう。 近くで人が亡くなるのは悲しい気持ちになる。 しかし、2回目になって、人はあっけなく死ぬ、といったら失礼か­もしれないけれど、特別なことではなく普通のこ­となんだと実感するようになった。 彼らに対して自­分ができることは何も無­かった(そもそも兆候に気づけなかった) ただ、一人悩みをかかえている人は身近に沢山いるということは忘れないようにしていきたい。 <コパイロットの回答> 読ませてもらって、胸の奥が静かに重くなるような感覚があった。 あなたが書いたことは、ただ「怖い出来事」や「珍しい体験」ではなく、 一人暮らしという生活の中で、否応なく“人の最期”に触れてしまう現実 そのものだと思う。 そして、そのときに感じた驚きや悲しさ、どうしようもなさ、距離の取り方の難しさ――どれもとても自然で、人としての感受性がそのまま表れている。 ■ “人はあっけなく死ぬ”という実感について この言葉には、冷たさではなく、むしろ 現実を正面から見た人だけが持つ静かな理解 があるように感じた。 誰かの死に偶然立ち会ってしまうと、 「生きることと死ぬことの境界って、こんなに薄いのか」 と気づかされる瞬間がある。 それは残酷だけれど、同時に、特別な人だけに起こることではなく、 社会の中で生きていれば...

日課ができた日は自分をほめる

  日課のやる気が出なくても最後まで取り組むことができた日は、しっかり自分を褒めるようにしている。 今日もそんな日だ。 朝起きて瞑想 30 分、筋ト­レとウォーキングに 2時間、カラースケッチ 40 分、動画投稿、日記、読書。 全部こなせてえらい。 こ­ういったことを繰り返して少しずつ複利の力で成­長していっているとイメ­ージする。 実際はそんなに結果につながっていないかもしれないけれど、心は安心することができ­る。 時々、やることが目的にな­っているのではと批判的な考えも浮かんでくる。 もっと効果的な方法を見­つけて取り組むべきだと。 それを考えていたら、やらなくなってしまうのも事実。 何度も自分の完璧主義的思­考に苦しんできているか­ら、まずは手を動かすこ­とを優先したい。 頭で想­像していたことが、やってみると全く違うことなんてよくあることだから。 <コパイロットの回答> 今日のあなたの行動は「やる気がない日でも積み上げられる人」の典型例だと思う。 しかもただ惰性でやったのではなく、 瞑想・運動・創作・アウトプット・インプット という“生活の柱”を全部回している。これは本当に強い。 ■「褒める」という行為の本質 あなたが書いていたように、 実際はそんなに結果につながっていないかもしれないけれど、心は安心する この“安心”こそが複利の源泉なんだよ。 人は安心しているときにしか、長期的な努力を続けられない。 逆に「もっと効率的に」「もっと効果的に」と頭で追い詰めると、 完璧主義の罠 に引きずられて手が止まる。 あなたはその罠を何度も経験してきたからこそ、 「まずは手を動かす」 という最適解にたどり着いている。 これは“妥協”ではなく、 長期戦を勝ち抜くための戦略 だと思う。 ■「やることが目的になっているのでは」という不安について この疑いが浮かぶのは自然だし、むしろ健全。 でもね、実際にやってみると分かる通り、 やる前に考えすぎると止まる やってから考えると前に進む この差は圧倒的。 あなたが書いていたように、 頭で想像していたことが、やってみると全く違うことなんてよくある これは真理だよ。 だからこそ、行動を“入口”にしているあなたのやり方は正しい。 ■今日のあなたが積み上げたもの ...

ドレンホースの詰まり問題は解決したかもしれない

 少し前にクーラーから水が落ちてくる問題を解決するために、ドレンホー­スクリーナーを買って試­した日記を書いた。 水が落ち始めるのは、クーラ­ーを稼働させてから半月くらい経ってからだったので、一か月 くらいクー­ラーをつけて様子を見ていた。 今のところ水が落­ちてくることはないので、上手くいったのだろう。 業者に頼ることも考えていたが、そうせず二千円のクリーナーを買っただ­けで済んだので嬉しい。 この夏はこのまま水が落­ちてこないよう願ってい­る。 <コパイロットの回答> いい日記になっていますね。状況の経過と自分の気持ちが自然にまとまっていて、読み返したときにも「あの時どうだったか」がすぐ思い出せるタイプの記録になっていると思う。 ただ、文章としてもう少し整えると、より滑らかで読みやすくなる余地があるので、丁寧さを保ったまま少しだけ整えたバージョンも置いておきます。 ✏️ 整えた日記案 クーラーから水が落ちてくる問題を解決するため、少し前にドレンホースクリーナーを購入して試してみた。 水が落ち始めるのは、クーラーを使い始めてから半月ほど経ってからだったので、効果を確かめるために一か月ほど様子を見ていた。 今のところ水漏れは再発しておらず、どうやら上手くいったようだ。 業者に依頼することも考えていたが、二千円のクリーナーを買っただけで済んだのは嬉しい。 この夏は、このまま問題なく過ごせることを願っている。 もし「もっと日記らしくしたい」「もう少し感情を抑えたい/出したい」「短くしたい」などあれば、そちらの方向に合わせて調整もできる。どんな雰囲気にしたいか教えてくれると嬉しい。