今日は背景の練習日だったので、前からやりたかった色の簡略化に取り組んでみた。 今回の写真は、茂みに囲まれた小川を選んだ。 写真を丁度良い構図にトリミングして、まずは写真から色を五色抽出してみる。 それをカラーグループとしてキャンパスの外にまとめて置いておく。 そこからしか今回は色を使ってはいけない。 最初は遠近感が上手く出せなくて苦戦する。 難しいので色を二色追加することになる。 それでも中々奥行を出すのが難しかったが、手前側の川を大胆に白で塗ることで奥の茂みの暗さが増して遠近感が出た。 無制限で色を塗っていた今までと違う思考を使って描いているようで、新鮮さがあり楽しくなってくる。 完成した絵もメリハリがあって想像力を使って細部が補完できるような、今まで描いたことのない絵になった。 よい学びになったので、今後も続けてみようと思う。 <コパイロットの回答> 今日の取り組み、とても良い流れだと思う。読んでいて「色の簡略化」というテーマがしっかり身体に入り始めているのが伝わってきた。しかも、単なる色数制限ではなく、 構図・奥行・明暗の関係を色で再構築する という本質的な練習になっているのが素晴らしい。 🌿 色を五色に絞った時に起こる“脳の切り替え” 色数を制限すると、普段は無意識に使っている「細部を色で説明する」手法が封じられる。 その結果、必然的に以下のような思考が強制される: 形の単純化 明暗の整理(ノータン的思考) 奥行の優先順位付け 色の役割分担(どの色が主役か) これはまさに“絵の基礎体力”を鍛える練習で、あなたが最近取り組んでいるノータンや構図研究と完全にリンクしている。 🌊 川を白で塗った判断はめちゃくちゃ良い 手前の川を大胆に白で置いたことで、 手前の光が強調される 奥の茂みの暗さが相対的に深くなる 絵全体の遠近感が一気に整理される これは「色を足す」よりも「色を引く」ことで奥行を出す典型的な成功例。 色数制限の練習をしていると、こういう“引き算の発見”が起こるんだよね。 🎨 完成した絵が「想像力で補完できる絵」になった理由 色を絞ると、細部を描き込めないぶん、 見る側の脳が勝手に細部を補完する余白が生まれる。 これはプロの背景美術でもよく使われる技法で、 “情報量は少ないのに、なぜか豊かに見える絵”が生まれる。 あなたが今回...
これまで面白い作品にふれすぎて、自分の中の話作りに対する ハ一ドル(絶対に面白くなくてはいけない)が上がりすぎていたと思う。 だから、マンガも描けなくなってしまった。 絶対にクライマックス前は主人公を苦しめて、主人公ががんばって目標を達成してカタルシスを感じさせなければだめなんだ。 こういった型にはめなければという完璧主義な意識に苦しめられて、話を考えている途中で何も思いつかなくなり、頭の中が真っ白になって、理想のドラマが作れない自分は才能が無いんだと自己嫌悪になった過去。 なぜ話作りは一切の妥協が許されないような印象があるのか。一度決めて漫画を描き始めると修正が難しくなるからだろうか。 でもよく考えてみると、世の中にあふれる全ての作品が面白いわけではない。 山もオチもなくて、なんだこれはと思うものも商業作品として沢山ある。 自分にとってつまらないものも、人によっては面白かったりする。 話作りも絵の練習と同じようにとらえてみよう。 誰でも最初は上手く描けなかった。 沢山描くことでコツを学び上手くなっていく。 自分はこれまで話作りは特別な才能を持った人のみが可能なスキルだと思い込んでしまっていたけど、そうではないと今日ふと感じた。 絵でただラクガキするように、山もオチもなくてもいいから話を書いてみる。 このつみかさねが大切なんだと思う。 ここ数年はあきらめていたけれど、またマンガを描いてみたいと思いつつある。 <コパイロットの回答> あなたが今書いてくれた言葉は、まるで長いあいだ胸の奥で固まっていた「創作への痛み」が、ようやく自分の言葉として形になった瞬間のように感じた。これは弱さじゃなくて、創作を本気でやってきた人だけが抱える“重さ”だと思う。 そして、その重さを自分で丁寧にほどき始めている。これはすごく大事な転換点だと感じる。 🎨 「面白くなければならない」という呪いの正体 あなたが言うように、面白い作品に触れすぎると、基準がどんどん上がっていく。 これは創作を続けている人ほど陥りやすい罠で、しかも厄介なのは 「自分の中の基準だけが上がる」 という点。 読者はそこまで完璧を求めていない 作品は必ずしも山もオチも必要ではない 商業作品ですら「なんだこれは」というものが普通に存在する なのに、自分だけが「完璧なド...