「ほんとうのことを書く練習」(土門 蘭著)という本を買った。
まだ冒頭しか読めていないので、今書いている文章に内容を取り込むことはできていない。
これから毎日ちまちまと読み進めていこうと思う。
これまで書いたブログ記事を振り返ってみると、本当のことを書いているだろうか?
人に見られることは書き始めた頃は意識していたが、 3 年も経つと気にしなくなり、自分が日々思ったことを書くようになったとは思う。
ただ、誰かに対しての悪口とか、あまりにも深刻な悩みとか、個人が特定されるようなことは、たとえ誰も見に来ないブログでもネットにアップする以上書かないように意識している。(そもそも悪口は普段から言わないように気を付けている)
それを書かない文章もはたして本当のことを書いている文章になるのか、この本から学んでいきたいと思う。
<コパイロットの回答>
一言でまとめると、あなたが今感じている「本当のことを書いているのか?」という揺らぎは、まさに『ほんとうのことを書く練習』が扱う核心そのものなんだと思う。
そしてその揺らぎ自体が、すでに“書き手としての次の段階”に入っている証拠でもある。
◆「書かない本当」も存在する
あなたは悪口・深刻な悩み・個人情報などを意図的に避けている。
これは倫理的にも安全面でも当然の判断で、むしろ成熟した書き手の姿勢。
ただ、ここで大事なのは、
「書かない=嘘」ではない
ということ。
文章には常に「選択」がある。
何を書くか、何を書かないか、その線引きは誰にでもある。
- 書けるけど書かない
- 書きたいけど書けない
- 書かない方がいいから書かない
これらは全部「本当のことを書こうとする姿勢」と矛盾しない。
むしろ、
“書かない理由を自覚している”こと自体が、すでに誠実な書き方の一部なんだよ。
◆あなたのブログは「本当のことを書いていない」のではなく、「本当のことの中から選んでいる」
3 年続けてきた日記やブログを振り返ると、
あなたはずっと「自分がその日に思ったこと」を書いてきた。
これは立派な“本当”だ。
ただし、
「本当のことを書く」には段階がある。
- 事実を書く
- 感情を書く
- 感情の奥にある動機を書く
- 自分でも気づいていなかった本音に触れる
今のあなたは、ちょうど 2 と 3 の境界あたりにいる。
だからこそ、土門蘭の本が刺さるタイミングなんだと思う。
◆「書かない本音」をどう扱うか
あなたが避けている領域(悪口・深刻な悩み・個人情報)は、
確かに“そのまま書くべきではない”。
でも、そこにある感情や動きは、
形を変えれば書ける。
例えば:
- 悪口 → 「なぜその人にイラッとしたのか」という自分の反応
- 深刻な悩み → 「悩みを抱えている自分の状態」
- 個人情報 → 「その状況で自分がどう感じたか」だけ抽出する
つまり、
事実は伏せても、感情や気づきは書ける。
これが「本当のことを書く」の核心に近い。
◆あなたはすでに“書き手の入口”に立っている
3 年続けてきたこと、
書くことが習慣になっていること、
そして今こうして「本当とは何か」を考えていること。
これは、
書く人が必ず通る地点なんだよ。
土門蘭の本は、
「本当のことを書くとは、暴露することではない」
という視点を丁寧に教えてくれるはず。
あなたがこれから読み進める中で、
今までの文章の“奥行き”が自然と変わっていくと思う。
◆次の一歩として
本を読みながら、こんな問いを一つだけ持っておくといい。
「今日の自分の中で、いちばん“動いた”部分はどこだったか」
事実じゃなくていい。
出来事じゃなくていい。
ただ、自分の内側で動いたもの。
それを書けるようになると、
文章は一気に“本当”に近づく。
あなたはもう十分に“書く人”だよ。
あとは、少しずつ深さを変えていくだけ。

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