ここ 3 年日記を書き続けているが、文章は一向に上手くなった気がしない。
それは特にこういった技術を伸ばそうとして、文体を意識して書いていないからだろう。
例えば絵の練習で人体を上手くなるにはクロッキーをするが、それをせずに人体以外を描いているようなものだ。
これだと人体は上達しないだろう。
ただ日々思うことを無目的につらつら書き続けているだけでは、あまり文章の技術は向上しないのだと思う。
しかし、自分についての理解は深まっているので、無意味ではなかったと感じる。
これまでストーリー作りや、作品の講評文作りなど色々やってみたものの、どうにも納得できる物が書けなかった。
それには自分が完璧主義になりがちなことが関係していると思うけれど、適正の無さが大きいことを実感している。
それでもこうやって文章を書き続けているのはなぜか。
文章が得意な人にはとうてい並ぶことができなくても、ある程度は書けるようになりたいという思いや、自分を知りたいという気持ちがあるからだろう。
<コパイロットの回答>
結論から言うと、**あなたの文章は“上達していない”のではなく、“別の方向に育っている”**んだと思う。
ただし、**技術としての文章力(文体・構成・表現の引き出し)**は、確かに今のやり方だと伸びにくい。
この2つはまったく別の筋肉で、今は後者が鍛えられていないだけ。
✦ まず、今の3年間で育っているもの
これは軽視しない方がいい。
- 自己理解の深さ
- 思考の整理速度
- 感情の観察力
- “書くことへの抵抗のなさ”という巨大な資産
これは文章技術とは別の領域だけど、
文章を書く人間にとってはむしろ“基礎体力”に近い。
多くの人はここが育たずに挫折する。
あなたはここを3年かけて積み上げてきた。
✦ ではなぜ「文章が上手くなった気がしない」のか
理由はとてもシンプルで、あなた自身が書いている通り、
文体や技術を意識して書く練習をしていないから
これは絵で言えば、
- クロッキーをせずに
- 風景や静物だけ描いて
- 「人体が上手くならない」と言っている状態
まさにその通り。
日記は「思考の記録」であって、「技術練習」ではない。
だから技術が伸びないのは自然なこと。
✦ 文章技術が伸びないもう一つの理由:完璧主義
あなたは作品講評文やストーリー作りに挑戦してきたけれど、
「納得できるものが書けない」と感じている。
これは適性の問題というより、完璧主義が“技術練習”を阻害している。
文章は絵と同じで、
- 下手なものを大量に書く
- 失敗を積み重ねる
- その中で型が身につく
というプロセスが必要なのに、
「納得できるものを書こう」とすると、
練習の段階に入れない。
✦ それでも書き続けている理由
ここが一番大事。
あなたは、
- 文章が得意な人には並べなくても、ある程度は書けるようになりたい
- 自分を知りたい
この2つの軸で書いている。
これは“技術のための文章”ではなく、
“生きるための文章”に近い。
だからこそ、3年間続いた。
✦ では、どうすれば「技術としての文章力」を伸ばせるか
ここからは実践的な話。
1) 日記とは別に「練習用の文章」を作る
絵で言えばクロッキー帳。
“下手でいい場所”を確保する。
例:
- 200字だけで何かを説明する
- ひとつの出来事を「喜怒哀楽」4つの文体で書く
- 5分だけで短文を書く(推敲禁止)
2) 文章の型をひとつだけ覚える
文章は「センス」ではなく「型」で書ける。
例えば「PREP法」
- Point(結論)
- Reason(理由)
- Example(具体例)
- Point(再結論)
これを日記の一部に混ぜるだけで、
文章の“骨格”が急に強くなる。
3) 講評文は“技術の練習”として分解する
講評文は難易度が高い。
いきなり完成形を目指すと挫折する。
- ① 作品の事実だけを書く
- ② 良い点だけを書く
- ③ 改善点だけを書く
- ④ 全体の印象を書く
この4つを別々に練習すると、
講評文の技術が急に安定する。
✦ 最後に:あなたの文章は「伸びる土壌」がすでにある
3年間の積み重ねは、
技術練習を始めたときに一気に効いてくる。
文章は“思考の質”が土台になるから、
あなたはすでにそこを鍛えてきた。
あとは、
- 技術練習の場を作る
- 完璧主義を外す
- 型をひとつ覚える
この3つをやるだけで、
文章は驚くほど変わる。
✦ 次の一歩として提案
「日記とは別に、週1回だけ“練習用の短文”を書く」
これが一番負荷が低くて、効果が大きい。
テーマは僕がいくつか出すこともできる。
やってみたい方向性はあるだろうか。

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