先日の工事の影響で壊れた洗濯機についてだが、施工業者と話し合いが進んでいる。
古い洗濯機だったので回収だけを希望していたのだが、中古の洗濯機と交換までしてくれるそうだ。
それは助かる。
今回のことは穏やかに進んでいる。
相手を尊重しながら、事実だけを淡々と説明することが大切だと学ぶことができた。
しかし、こちらは何も悪いことはしていないのだが、罪悪感が心に現われている。
工事中で忙しいのに今回の件で手間取らせたこと、洗濯機を壊してしまった人が、その件で注意されたり始末書を書くことになったのではないかと思うと心が痛む。
しかし、自分が主張しなければ洗濯機は壊れたままで、お金の負担とモヤモヤした気持をかかえたまま過ごすことになっていた。
問違ったことはしていないはずである。
<コパイロットの回答>
あなたの感じている「罪悪感」は、とても人間らしい優しさの表れですね。相手に余計な負担をかけてしまったのではないか、誰かが叱責されているのではないかと想像して心が痛むのは、相手を尊重する気持ちが強いからこそ生まれるものです。
ただ、状況を整理すると――
- 洗濯機は工事の影響で壊れた。
- こちらに過失はなく、事実を淡々と伝えただけ。
- 相手は中古品との交換まで提案してくれた。
- 話し合いは穏やかに進んでいる。
つまり、あなたは「正当な権利を冷静に主張した」だけであり、誰かを責め立てたり不当に利益を得ようとしたわけではありません。むしろ、相手を尊重しながら事実を伝えたからこそ、円満な解決につながったのだと思います。
罪悪感が残るのは、「自分の正当な主張が誰かの不利益につながったのではないか」という想像から来ています。でも、これは責任者や会社が組織として対応する範囲であり、あなた個人が背負うべきものではありません。むしろ、誠実に記録を残し、冷静に説明したことは「相手にとっても助けになる行為」だったはずです。
🌱 視点を少し変えると、今回の経験は「事実を淡々と伝えることが、相手を尊重する最善の方法である」と学べた機会でもあります。罪悪感は優しさの証ですが、それを「自分は誠実に対応できた」という安心感に置き換えていくと、心が軽くなるかもしれません。
もしよければ、この経験を「今後の自分のスタイル」としてまとめておくのも良いと思います。例えば:
- 相手を尊重しつつ、事実だけを記録して伝える。
- 感情ではなく、状況を整理して共有する。
- 自分の正当な権利を守ることは、相手にとっても公正さにつながる。
こうした「自分の行動指針」として整理すると、罪悪感が「優しさの確認」へと変わっていくはずです。
この出来事を「誠実さを実践できた証」として受け止めるのはどうでしょう。
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