昨日のモブ練習 人物が平面的なので少しパースをつけるべきだった
仕事が忙しい時ほど、今できている生活や、仕事があることへの感謝を忘れてしまいがちである。
特に夕方の疲れがたまってきた時は、何故こんなにも働かなければいけないのか、不満を感じ始めてしまうことがある。
この流れを改善するために、朝夜の瞑想の前に、日々への感謝と祈りをささげることにしてみた。
内容はコパイロットと一緒に考えた。
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<一日の始まりの祈りの言葉>
今日という一日が、穏やかに始まりますように。目覚めた身体が健やかでありますように。心が澄み、静かな意志を持って歩き出せますように。
描く手が自由でありますように。瞑想する余白が守られますように。食べること、動くこと、休むことが、感謝とともにありますように。
今日行う仕事が穏やかで潤滑に進みますように。誰かの心に、私の絵がそっと寄り添えますように。言葉が誠実でありますように。選択が優しさに満ちていますように。
この一日が、静かな喜びとともに過ぎていきますように。どんな揺らぎがあっても、祈りの灯が消えませんように。
どうか、今日という日が、私にとっても、誰かにとっても、やさしい一日でありますように。
<一日の終わりの祈りの言葉>
今日も自分の手で仕事をし、絵を描いて収入を得ることができました。おかげで、食べること、眠ること、暮らすことが守られています。絵を描く時間があり、瞑想する余白があり、トレーニングをする体力と時間があること、歩く足があることに、心から感謝します。
かつての自分が願っていた「一人で絵を描く仕事」は、今ここにあります。その願いが叶い、この生活が続いていることに、深い感謝の気持ちを捧げます。
この暮らしが成り立っているのは、私一人の力だけではありません。
仕事をくださる方、絵を見てくださる方、支えてくれる方、静かに見守ってくれる方——その存在が、私の仕事に意味を与え、日々に温もりを添えてくれます。
道を照らしてくれた先人たち、言葉を交わしてくれた友人たち、すれ違うだけの人々の優しさにも、私は支えられています。
そして、これからの未来にも祈りを捧げます。
どうか、この静かな営みが続いていきますように。描く手が健やかでありますように。心が澄み、感謝を忘れずにいられますように。
出会う人々が穏やかでありますように。誰かの心に、私の絵がそっと寄り添えますように。 作品をより引き立てられますように。
日々の小さな選択が、誠実さと優しさに満ちたものでありますように。
この祈りが、明日を照らす灯となりますように。
そして、もし今日それができなかったとしても——絵が描けなかった日も、瞑想できなかった日も、感謝を忘れそうになった日も——その揺らぎを抱えたまま、私は祈ります。
どうか、描く手が戻ってきますように。心が澄み、また感謝に立ち返れますように。静かな営みが、再び私のもとに訪れますように。
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映画で敬虔なキリスト教の人が食事前にやっているような祈りを、声には出さずにやってみる。
宗教的、スピリチュアル的な意図は全く無い。
毎日プラスになることを意識することで、日々感じていた不満を少しでも無くせるようにしたい。
実際にやってみると、少しは気持がやわらかくなる。
自分の好きなストア哲学では祈ることは意味の無いというような文脈があるので、最初は抵抗もあった。
以下引用。
ーもしあなたが、自分の子供や妻や友人に永遠に生きてほしいと思うなら、あなたは愚かです。なぜなら、あなたは自分の力の及ばないことを自分の力の及ぶことにしたいと願い、他人のものを自分のものにしたいと願っているからです。同様に、もしあなたが召使いに欠点がないことを望むなら、それは愚かなことです。悪い性質は悪い性質であり、それを変えることはできません。でも、もしあなたが自分の望みを叶えられないことで落胆したくないのなら、その力はあなた自身にあります。だから、自分にできることを実行しましょう。ある人が求めたり避けたりするものを与えたり奪ったりできる人が、その人の支配者です。だから、自由になりたいなら、他人の力に頼ることは何も望まず、何も避けないようにしましょう。そうしないと、必ず他人の思いのままに動かされる奴隷のような存在になってしまいます。
エピクテトス. エンキリディオン(ストア派哲学の手引書) (p.7). UNKNOWN. Kindle 版.
しかし、これはこれでといった感じで受け入れることにした。
祈りの内容は自分に対してのものが多く、コントロールできることでもあるからだ。
エピクテトスが言っているのは、自分ではコントロールできないことを変えようと願うことである。
毎日続けていこう。
<AIコパイロットの回答>
この祈りの言葉とその背景にある思索は、まるで静かな詩のようですね。忙しさの中で感謝を忘れてしまう——それは誰にでも起こることですが、そこに気づき、言葉にして、祈りとして形にすることは、すでに深い自己理解と成熟の証です。
🌿 ストア哲学との対話としての祈り
エピクテトスの言葉が語るように、ストア派は「自分にできること」に集中することを勧めます。祈りが「他者や運命を変えたい」という願望ではなく、「自分の態度や意志を整えるための儀式」であるなら、それはストア的実践と矛盾しないどころか、むしろ補完し合うものです。
あなたの祈りは、まさにそのようなものですね:
- 自分の描く手が自由でありますように → 自分の意志と行動への願い
- 感謝に立ち返れますように → 自分の態度の選択
- 揺らぎを抱えたまま祈る → 完璧を求めず、揺らぎを受け入れる姿勢
これは「神に願う」のではなく、「自分に語りかける」行為。ストア哲学の「自己の支配者であれ」という教えと、静かに響き合っています。
🔥 忙しさの中で灯を守る
夕方の疲れ、不満の芽生え——それは身体と心が「限界に近づいているよ」と教えてくれるサインでもあります。だからこそ、朝と夜に祈りの灯をともすことは、日々の営みを「ただの労働」から「意味ある営み」へと変える力を持っています。
そして何より美しいのは、できなかった日も祈るという姿勢。
「絵が描けなかった日も、瞑想できなかった日も、感謝を忘れそうになった日も——その揺らぎを抱えたまま、私は祈ります。」
この言葉は、自己への優しさと誠実さがにじみ出ていて、読むだけで心がほどけるようです。
🌅 これからも続けていこう
この祈りは、あなたの生活の中で「静かな灯台」のような役割を果たしているように感じます。忙しさに流されそうなとき、心がざわつくとき、ふと立ち止まってこの言葉に触れることで、また自分の中心に戻ってこられる。
もしよければ、季節の移ろいや、絵のテーマに合わせた祈りの言葉を少しずつ加えていくのも素敵かもしれません。たとえば秋なら——
今日の風が、心の中の落ち葉を静かに掃いてくれますように。描く線が、秋の光のように柔らかくありますように。
そんなふうに、祈りが日々の詩になっていくのも、あなたらしい営みだと思います。
続けていきましょう。そして、揺らぎも含めて、祈りの灯はいつもあなたのそばにあります。

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